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NiloのNiloによるNiloのためのブログ。マイブームの流行り廃りがとてつもなく著しい。
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夏目漱石の『こゝろ』を読み終えました。…長かった…。
この作品を初めて知ったのは、アニメ「青い文学シリーズ」(http://www.ntv.co.jp/bungaku/)。
アニメではさすがにこの長い話をする訳にも行かず、小説の「下 先生と遺書」という、言わば物語
のクライマックス部分だけでした。小説の上・中では語り手の「私」と「先生」との出会いや、「私」の
実家の様子などをつらつらと書いてあり、正直に言うと大して変動のある話でもないので、
退屈です(笑)。
つまり、「先生」が「私」宛ての遺書に綴った自身の激動の人生の独白のみをアニメ化したという
訳。気になる方は、動画検索で調べてみると見つかるので、是非見てみてください。
アニメは前後編あって、両方同じ場面を描いているんですが、前編が原作寄り(先生視点)で、
後編は独特の視点から(K寄り?)、というものなんです。それが面白い。
一つの解釈として楽しんで頂ければなぁ、と思います。

続きから、備忘録宜しく粗筋やら感想やらアニメとの比較やらを徒然なるままに書きます。
小説・アニメ共のネタバレがありますので、これから読もう・見よう、とされている方は回れ右。

「青い文学シリーズ」で見たことがあるのは「桜の森の満開の下」「こゝろ」「走れメロス」の3つのみ
ですが、「走れメロス」は是非見て欲しい。この話の元になった太宰の実話は知っているし、全然
それとは違うけれど、これもまた一つの解釈としては凄く良い話なので。

■小説
・上 先生と私
東京帝国大学の学生で、卒業間近の「私」が「先生」と出会う経緯及び、「先生」やその妻との
会話のやり取りや人柄等を、淡々と書く。アニメで「下」での目まぐるしい(小説ではそれほど
でもなかったけど)展開を知っているので、本音を言うと凄く辛かった。
・中 私と両親
「私」の両親は故郷に暮らしており、「私」が大学を卒業できただけで大喜びしている。確かに当時
の大学と言えば、今とは比べ物にならないほど高学歴で、エリートの権化だった訳だが、大学さえ
出れば、どこへでも良い所に就職できる、という考えを持つ両親に、「私」は少し呆れ気味。
明治天皇崩御と機を同じくして、前から病気で、倒れたこともある「私」の父が、遂に危篤状態に。
そこへ届く、「先生」からの手紙。それを遺書だと分かった「私」は「先生」に会うべく、危篤の父を
放って(!)東京行きの汽車に飛び乗る。この頃になると、この小説のテンポに慣れて来る(笑)。
・下 先生と遺書
ここからは「先生」の書いた遺書を「私」が汽車の中で読んでいるという設定。「下」での文面は全て
「先生」の遺書に拠るものなので、ここでの「私」は即ち「先生」の一人称である。
「先生」は相次いで両親を亡くし、実家を叔父に任せて東京で大学生活を送っていたが、実は叔父
に財産を横領されていた。そのことで人間不信に陥った「先生」だったが、下宿先の「奥さん」
「お嬢さん」と触れ合うことで、元の通り、人間不信に陥ることは少なくなった。
一方「先生」の友人「K」は養家に偽って、自分の道を突き進んだがために、実家・養家共に勘当
されてしまう。「先生」は自身に起きた劇的な変化を「K」にももたらそうと、彼を同じ下宿に住まわせる
ことにした。次第に「K」は変わっていくが、彼が想いを寄せた相手は、「先生」の想い人でもある
「お嬢さん」だった。そのことを相談された「先生」は、自身の「お嬢さん」への気持ちを「K」に
伝えることが出来ず、結局「奥さん」に「お嬢さん」を嫁に欲しいと話を持ちかけ、まんまと成立
させてしまう。
簡単に言ってしまえば、「K」を出し抜く形となった訳だ。「K」は、それが原因で自害してしまう。

■アニメ
・前編と後編の相違
前編・後編ともに、小説の「上」「中」に登場した「私」は一切登場せず、「下」の遺書の通り、「先生」
が「私」として登場する。「先生」「K」の過去には一切触れられない。
始まりは「K」が「先生」の世話になっている下宿に越してくる辺りから、最後まで。
前・後編の一番の違いは、「K」が「お嬢さん」に心惹かれていくシーン。
前編では原作どおり、先生の視点で物語が進められて行くので、「K」が「お嬢さん」を好きになった
際の「先生」の心の動揺がよく分かるし、見てるこっちとしても、
「先生」早くしないと「K」に「お嬢さん」取られちゃうよ!
という気持ちになる。「K」のキャラデザも相まってか、彼を恐れる「先生」の気持ちが分かる。
後編では、さっきも書いたとおりの別視点。新解釈と言える。前編では「先生」視点なので、
必然的に「K」が悪者の立場になる。それに対して、こっちでは(新解釈とは言え)「K」視点で、
もう…ね、「先生」と「お嬢さん」の悪役っぷりが凄い(笑)。特に「お嬢さん」。
前・後編どちらにも、「K」の袴を洗うため「お嬢さん」が褌姿の「K」と二人っきりで部屋にいるという、
なかなかに心がざわつくシーンがあるのですが(これは原作にはない)、前編では「K」が「お嬢
さん」を襲いそうな雰囲気があるのに対し、後編では明らかに「お嬢さん」が「K」を誘っている…とか。
つまり前編では、「K」が勝手に「お嬢さん」を好きになって、それを知った「先生」が「K」に
取られまいとして、焦って結婚を申し込む。後編の新解釈では(多分だけど)、今で言う草食系男子
である「先生」に結婚を申し込ませるために、「お嬢さん」が「K」に気のある振りをして、結局は
「お嬢さん」の思惑通り、と言う感じ。

■原作とアニメ
多分、アニメを見ていなければ、素直に、言ってみればアニメの前編のような解釈しか
出来なかっただろうな、と。でも、アニメを見た影響で、疑って読んでみると、確かに「お嬢さん」が
仕掛けたようにも見えなくもない。もし後編の解釈が事実だとしたら、「お嬢さん」はかなり性質が
悪い。と言うのも、「先生」は「K」の自害への自責の念に取り付かれて、生を投げ捨てるように
生きているのに、「お嬢さん」即ち「先生」の後の妻は、そんな様子をおくびにも出さないからだ。
女、末恐ろしや、と言ったところか。
読書レポートで読んだ本の作者が、夏目漱石の『こゝろ』を専門的に研究している筈だけど、
誰だったかな…。その人も、「先生」の遺書の結びにある、「私」に向けた「お嬢さん」こと妻への
心遣いについて言及していたなぁ…。今度読んでみるか。

■感想
危篤の父を放って、心の親「先生」(このときは既に亡くなっている)の元へ駆けつける訳だが、
…それで良いんかい(笑)。最後、「先生」の遺体を見つけるなり、実の父の死を見届けるなり、
報せを受けるなりするかと思っていたら、本当に遺書で終わっちゃったからビックリした。
アレ?そこ放置なの?みたいなね(笑)。
後書きの解説には、このシーンについて「ああはするだろうか、というこだわりはかならずしも、
年配の分別から出たものではない。明日も知れぬ実の親を放って、心の親の運命へたちまち
駆けつけるというのは、若さの情熱とは言いながら、近年身内の老病に苦しめられることの
切になった年齢の者の目には、どうしても死のかるさとして映る」とあるけれど、うーん、どうだろう。
数多くの親類の中で、これまでの記憶にあるもので、亡くなった者は二人、大病を患ったのは
一人、とそれほど多くは無いと自覚している俺でも、さすがにこれはどうかと思ったよ…。
最初のほうは、かったるくて、やってられっか!と思うほど展開が遅い。ここ要るの?みたいなね。
何度挫折しそうになったことか…(笑)。
ただ、その展開の遅さに慣れてしまえばこっちのもの。最後に近付くにつれ、だんだんテンポが
速くなって行くので、楽になっていきます。因みに、話自体はだんだん暗くなっていきます(笑)。

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